tomomatu の紹介

      高校卒業後 東京都内、店頭上場企業にて15年間勤務 1999年 村上整体専門医学院、入学。       在学中、アメリカ、ライフウエスト大学にて人体解剖学 全過程修了 2001年 同医学院卒業後 群馬県内の施術院勤務 2003年 操体、創始者 橋本敬三先生の直弟子三浦寛先生 主催 臨床家コース       にて操体を学ぶ            現在も定期的に勉強させていただいている 2004年 群馬県甘楽郡にて、からだバランス調整院 開院             同地にて現在まで、操体専門にて施術及び健康指導を行なっている。

気持ちよさについて

「快」「快適感覚」「気持ちよさ」と「楽」は本質的に異なるものです。

 来院者の方々は総じて「楽になりたい」「楽にしてくれ」といった事を仰います。不快症状が強ければ強いほど、そう考えるのは解ります。しかし、その「楽」に向いた思考が病みをつくり出している場合もあるのです。

「楽」は単独的であり、調和には向かいません。
 例えば、子どもの時を思い出してみて下さい。学校で掃除をしていて、さぼった経験がある人もいると思います。さぼっている時は、自分だけ「楽」をして、何か得したような気分にもなるでしょう。
 しかし、一生懸命にやっている友達に目を向けた時、後ろめたさを感じたり、悪かったと思うのではないでしょうか。「楽」というのは調和には向きません。

 これを、自分と自分のからだの関係に当てはめてみて下さい。何にもしないのが「楽」でいいやと言う人もいます。それは自分の思考がつくり出しているだけなんですね。その時はそれで良いかもしれませんが、だんだん何もしないのが苦痛になってくるはずです。
 からだがそれを良しとしないのですね。それでは自然環境に順応できず、恒常性も維持できなくなりますから。
 心の縛りが無ければ、からだは無意識のうちに静的にも動的にも動いて、調和に向かうのですね。

 その調和に向かう方向性は何で決まるかといったら「快」の感覚であり、からだに元々備わっている「快」「不快」を識別する能力である原始感覚が、そうさせるのです。
 からだは70兆個の細胞から出来ていると言われますが、その一つ一つが「快」を選択し、結びつき、それぞれの器官、機関を構成し、そして調和しているのです。
 今、確かに存在している、そのからだに「楽」の選択はないのです。「快」があるから新陳代謝もスムースに行われ、更新された調和の像が形成されます。「楽」にしがみついた細胞があったら、それは様々な不調和の元となってしまうでしょう。

 操体の臨床も「楽」に問いかけるのではなく、「快」なのです。動かして診る診断分析法にしても、皮膚に接触する診断分析法にしても、「快」に問いかける。
 動かして診る診断法にしても、自分勝手な動きでは「楽」にはつうじても、「気持ちよさ」にはつうじないのです。「楽」への問いかけでは、その時の「楽」で終わってしまい、回復や健康維持、増進には、なかなかつながらないようです。

 からだの動きは、からだの使い方の自然法則に則って動かすことで、自分の普段使いの動きではなく、からだ本来の動きが導き出されます。そうすることで、「気持ちよさ」をからだにききわけるという事につながるのです。その為に操者(施術者)が必要となるのです。操者は来院者のからだ本来の動きが導き出せるよう十分にサポート致します。

 治すのは、あくまでからだであり、自分自身なのです。これは、どんな治療法にも言える事だと思いますが、からだが応えてくれなければ、どうにもならないのです。
 本来、自然とともにある、からだがどうしてほしいのか、その要求に対応できている時、からだは「気持ちがいい」という感覚で応えてくれます。その「気持ちのよさ」を原動力として、からだはバランス制御に向かうのです。相関相補の結びつきも強まり、弱って悲鳴をあげていた箇所も全体の調和の元に快復に向かうでしょう。

 そして、単にからだが回復に向かうだけでなく、「気持ちよさ」が心の奥底にも働きかけ、何らかの縛りからの開放へと向かわせ、精神的な病みの癒しにもつながります。
 本来の心とからだは、一如の生命体として「気持ちよさ」「快」の方向に向き、調和が成るよう創造られているようです。それを肯定して前向きに生きるか、一時の「楽」を求めて不調和を引きずるのか、その意思決定は本人がするしかないのです。
 どうせなら、「気持ちよく」前向きに。 

 

症状疾患とからだの歪み

「万病」という言葉があります。これは、あらゆる病気とか、多くの病気という意味ですが、 病気の数ってどれくらいあるのでしょうか。症状・疾患名として名前のついたものは、22000とも23000とも言われていて、現在も増え続けているようです。

 腰痛と一口に言っても、疾患としてまだ育っていない軽度の愁訴的痛みから、骨の変位や変形からくる痛み、内科疾患によって引き起こされる合併症的な腰の痛み、心因性とされる腰の痛みまで様々です。
 現代医学を元にした症状・疾患で捉えると、種類も多岐にわたり、治療法もその分数多く存在します。そして、その多くは症状・疾患名に対しての個別な治療法です。しかし、その症状、疾患、愁訴の元の元の根本的な原因に、目を向ける必要があるのではないでしょうか。

 操体の創始者、橋本敬三医師の著書には必ず、「人間ーこの動く建物」と題した診断と治療の原理が載っています。その原理とは、症状、疾患は元々の正体が健康傾斜の歪体化のプロセスを経て、バランスを崩すうちに現れてきた現象であり、歪体を正体に戻すことにより、可逆的に元の健康体に戻せるというものです。
 歪体とは、からだに系統的な歪みが生じていることです。では何故、からだに歪みが生じるのか。それは、自分が生活する上で、必要最小限、責任を持って営まなければならない「息、食、動、想」の営みが自然法則に準じていないからであり、それによって自然環境をはじめとした自分を取り巻く様々な環境に順応できていないからです。

 からだが歪むと、形態学的には姿勢に現れ、局所的には変形、腫脹、硬結、萎縮等を来たし、動きも窮屈なものとなってきます。それでも、間に合っていれば良いのですが、からだ(運動系)の歪みそのものが、生体にとってのストレッサーとなってくると・・・

    ・・・からだ(運動系)の歪みから感覚的バランスを崩し
                ↓                
      第1段階   感覚異常の発生 (A)
                ↓                  
      第2段階   機能異常の発生 (A’)+ (B)
                ↓                 
      第3段階   器質異常破壊の発生 (A’’)+(B’)+(C)

    ・・・と、なってしまうのです。

 感覚異常の発生とは、からだの歪みによって、 不定愁訴、微症状といわれる非特異的症候が自覚できるということです。からだが常に行っている、本来の状態に快復しようとする働きでは、間に合わなくなっており、どうにかしてほしくて不快のサインが出ているのです。これが傾斜の歪体化の第一歩となります。
 そして、そのまま不快な状態が続くと機能異常の発生が起こります。歪みにより、流れの悪さから滞りが出来てくれば、当然、内部機関の働きも悪くなり、機能的バランスを崩すこととなります。ここに来て、現代医学では精密検査を必要とする段階に入り、種々の検査がなされるようになります。
 そして更に不快な状態が続くと器質異常・破壊の発生つまり組織細胞の破壊、病理学的変化が起り、内臓の器質的バランスの崩れにまで至るのです。

 ここまでのプロセスで注目すべきは、第1段階の感覚異常(A)だったものが、 第2段階の機能異常が発生する頃になると、強められて(A’)となり、第3段階では機能異常の強まりと共に、更に(A’’)と強まり、器質異常破壊の発生となっている点です。これはどういうことかというと、それぞれの異常は、いきなり単独で発生する訳ではなく、段階的な積み重なりがあるということです。
 症状疾患現象というのは段階的なプロセスを経ており、その元々にあるのは、からだが不快な動きの方向に歪体することから始まっているのです。そして、異常感覚は警報ベルであり、速やかに正体へと快復すれば警報は止みますが、多重的に広がれば警報は強くなり、様々な異常も生じてしまうということなのです。
 しかし、生じた警報を消失するよう、からだを歪体から正体へと逆転させていけば、段階的に異常も正常化してくるという事。
 図に示すと・・・ 

         ・・・歪体から正体へと逆転していくと
                    ↓                    
      第1次消失として    感覚の正常化
                    ↓                   
      第2次消失として    機能の正常化
                    ↓                    
    最終的正常化として  器質異常・破壊の停止、回復(その程度による)

・・・となります。 健康傾斜の歪体化のプロセスは可逆性になっているのです。

 からだは悪くもなりますが、そこから良くなるようにも出来ているのです。その鍵を握るのは、からだの歪みとそれにともなう感覚であり、そこに着目するか、しないか、なのです。
 現代医学は、危機に瀕した生命を救急、救命する場面などで、数々の素晴らしい成果をあげています。これは本当に有り難いことです。
 しかし、人間は元々病気しないように、間に合うように出来ているのです。危機に瀕するまで、頑張って、からだを不調のままにしておく必要はないのです。不快を感じたなら、気持ちの良い方向に調和できる様、からだの歪みを調整し、心とからだの健康バランスを回復させていけば良いのです。

 病気から人を診るのではなく、人を病気にさせない診かたが、今後いっそう問われてくるのではないでしょうか。不快な動きの方向に歪体したからだを、正体に戻すことなく、症状、疾患という現象だけ、なんとかしようとしても底抜けの桶で水を汲むようなものなのです。

 

 

腰痛なのになんで

腰痛と一口に言っても、その種類は様々です。そして、そのほとんどは現代医学では原因が特定しきれていないとされています。

 厚生労働省の「腰痛対策」という資料を見てみますと、医師の診察および画像検査(X線やMRIなど)で腰痛の原因が特定できるものを特異的腰痛、厳密な原因が特定できないものを非特異的腰痛としています。
 そして、その比率は特異的腰痛15%に対して、非特異的腰痛は85%にのぼります。 通常、腰痛症と言えば非特異的腰痛の事を指すとされています。

  厚生労働省の資料をもとに、特異的腰痛と非特異的腰痛について、書き出しておきます。 
 

(1)特異的腰痛の代表例
 
  原因が確定できる特異的腰痛は、医療機関を受診する腰痛患者の15%くらいの割合といわれています。その内訳は、腰痛自体よりも坐骨神経痛を代表とする脚の痛みやしびれが主症状の疾患である腰椎椎間板ヘルニアと腰部脊柱管狭窄症がそれぞれ4~5%、高齢者の骨粗鬆症の方に多い圧迫骨折が約4%、結核菌も含む細菌による背骨の感染(感染性脊椎炎)や癌の脊椎への転移など背骨の重篤な病気が約1%、尿路結石や解離性大動脈瘤など背骨以外の病気が1%未満です。

(2)非特異的腰痛

 多くは椎間板のほか椎間関節、仙腸関節といった腰椎の関節部分、そして背筋など腰部を構成する組織のどこかに痛みの原因がある可能性は高いところですが、特異的、つまり、どこが発痛源であるかを厳密に断言できる検査法がないことから痛みの起源を明確にはできません。骨のずれ(すべり)やヘルニアなどの画像上の異常所見があっても、腰痛で困っていない人はいますし、逆に、腰痛の経験があっても画像所見は正常な場合もあります。つまり、画像上の異常所見は必ずしも痛みを説明できないことが理由の一つです。
 ぎっくり腰等の非特異的急性腰痛は、初期治療を誤らなければ多くは短期間でよくなります。しかし、一度発症すると、その後長期にわたり再発と軽快をくり返しやすくなることが特徴です。
                                                                           
  引用元:腰痛対策ー厚生労働省 (PDF資料)

(2)の非特異的腰痛に関しては、思い当たるふしがある人が多いのではないでしょうか。私ども診させていただく側からしても、(1)の特異的腰痛の中の椎間板ヘルニアや、痛みの起源が明確に出来ない非特異的腰痛で来院する方がほとんどだからです。
 そして、ほとんどの人が画像上の異常所見をもとに「ここがこうなんだから」とあきらめ感を持ってしまっています。しかし、そのままでは生活していく上で不便だし、痛みからの解放も願い、何とかしたくて私どものような現代医学とは異なる診かたをするところにやってくる。

 診かたの違い。現代医学と私ども操体臨床家の診かたの大きな違いは、症状疾患で診ずに、その症状疾患現象の原因となっている、からだの歪みを診るという事。
 ですから、腰痛で来院したクライアントに対して、「ここが痛い痛い」と言っている腰の部分には、まったく手をかけない時もあります。その人特有の全体的なからだの歪みによって、腰にストレスが生じ、痛みにつうじている訳ですから、その痛みの原因は腰ではない場合の方が多いからです。
 からだの歪みを考慮せず腰だけ何とかしようと刺激を与えても、かえって反発を受けることが多いですし、場合によっては壊してしまいます。また、からだの歪みを考慮せず、腰だけ固定安静をはかっても、他との不調和が解消されなければ自然良能作用は十分には発揮されず、時間の経過とともにかえって弱ってしまう場合もあります。

 からだの要求に応える。からだには、常に全体的な調和に向けた働きがあります。そのお陰で、誰もが生きていられます。その人特有に歪んだからだにも、調和に向けた要求があるのです。痛みのサインを発している状態であれば、なおの事その状態から変化したいという要求が顕著に現れているものです。
 そのからだの要求に対して、自然法則を応用して応えるのが操体臨床であり、動診にしても皮膚へのアプローチ(渦状波Ⓡ)にしても、調和に向くからだの要求に応える事を最善としています。
 ですから、そのからだの要求が足から診てほしいというのだったら、痛みや不快感のある腰ではなく、足からアプローチして、からだ全体が調和を密にして自然良能作用を十分に発揮できるようにするということなのです。

  からだは全体で一つ、みんなつながって相関し、相補し、そして連動しています。このつながりと、そのバランスという事が大切です。しかし、症状疾患別に診る事ばかりだと、つながりやバランスといったことを疎かにしがちです。
 互いに補い合い、協力し合う関係性が失われていけば、その器官、部位、部分は機能的に衰弱し、壊れていくのは明らかです。
 栄養や酸素を上手いこと受け取れない、動きに関しても拮抗して、その部位ばかりに負担を強いるようなかたちとなっていれば、その部位が弱っていくのは明らかであり、その部位が弱れば、それに連関する部位も連鎖する様に弱っていってしまうのです。

  ですから、腰痛にしても何にしても、全体のバランスを考慮し、からだの要求に応える事が大事であり、悲鳴をあげている部位に、更に痛みを与えるような事をする必要はないのです。