操体、操体法について ①


操体、操体法とは、医師であった橋本敬三先生(1897~1993)が昭和初期の時代に、様々な民間療法を試しているうちに、高橋迪雄(みちお)氏の正體術矯正法に巡り合い、そこから医者としての立場から医学的な認識に基づいて創案・体系づけたものであります。

橋本敬三先生が実際に日々の治療として行っていたものを「操体法」と呼びます。
そして、治療以外の橋本敬三先生の思想、哲学、生命観、を含めたものを「操体」と呼びます。

橋本先生が、実際に治療として行っていたものは、正體術をヒントにしてはいましたが、その内容はご自身の生命観、哲学とリンクさせ、次第に独特なものへと変化していきました。

その変化の集大成ともいえる言葉が「気持ちよさをききわければいいんだ、気持ちよさで治るのだからな」でしょう。
「気持ちよさで治る」このような考え方は、現代医学をはじめとした西洋医学にも東洋医学にもなく、手技療法の世界にもないでしょう。

Wikipediaには、このように書かれています。


 初期の理論(著書に詳しい)では、客観的に骨格構造を観察して、運動系の歪みを修正(治療)することを主題としているのが特徴。その後、客観的な見方を離れ、個々人の内部感覚(快・不快)にもとづいて、生体のフィードバック機能を洗練させることが重要であることをより強調する形になった。現在では、より質の高い快適感覚を「からだ」に聞き分け、味わうという感覚分析をするようになってきている。


 

橋本敬三先生は医師でありましたから、解剖、生理学などをもとに、はじめは客観的見地より骨格構造を主に構造力学的に診て、その症状疾患に伴う特有な運動系(ボディ)の歪みを正せば、おのずとその症状疾患現象も治まるという観点をもっていたようです。

しかし、ボディの歪みというのは症状疾患の元にもなりますが、その症状疾患を更に悪化させない為、あるいはもっと重篤な症状疾患を引き起こさない為に、あえて歪んでいることもあるのです。

人体を機械に見立てれば、一つの原因に対する一つの結果というような単線的な因果関係で説明しやすくなります。しかし、人体は生体であり、環境との相互関係をはじめとして、はるかに複雑な要素で成り立っています。

客観的に見て「このあたりが普通と違うから普通と同じような見栄えにしてやる」では、かえって不調に陥ってしまう場合が多々あるのです。
論理的に頭で理解できるものと、真理とは別なのです。

論理的整合性よりも真理が大切。この真理の追究こそが橋本哲学であり、操体なのです。
論理的な整合性を保とうとすれば、実際の物事よりもその論理に合った事象を優先し、その論理に合わないものは捨象する傾向があります。しかし、その捨象してしまったものの中には本当に大切なものもあるのです。

個々人の感覚(快、不快)もそうです。個々人の感覚というのは極めて主観的であるがゆえに、メカニズム的に数値化しやすい客観的な論理からは分離され、無視される傾向にあります。

しかし、からだの異変や不調を感じるのはご自分の感覚であり主観です。そして、気持ちの悪い状態から気もちの良い状態になっていくのを感じ、不調が回復に転じ、改善へと向かい、それに伴い元気や活力、生きる意欲、ポジティブな感情へといざなうのも、感覚があればこそなのです。

ボディの歪みを正すにしても、感覚は無視できません。ボディというのは横紋筋系運動系を指しますが、このボディは生体であり、内臓系、循環系、運動神経はもちろん自律神経とも力学的、生化学的に関わり合っています。

よく、局所の構造力学面だけに着目し「椎骨の変位、変形が脈管系や神経系を圧迫しているから」と不調の原因が説明されますが、なぜその椎骨が脈管系や神経系を圧迫する状態になってしまっているのか、といった動きも含めた全体的なボディの歪みを順を追って説明するとなると、物や機械を扱うような客観的な論理では説明できないのです。ボディが歪めば動きも不自然なものになるのですから。

ですので、外から見た客観的な形態よりも、主観である感覚によって動くからだの動きというのは無視できないのです。

ボディの歪みも、この環境に適応しようとして生きる生体の全体的バランスという観点が必要となります。
生体内部では、様々な部位、器官が相関相補し合ってバランスをとっています。ですので、その全体的なバランスを制御する羅針盤が必要です。

それが、私たちのからだに元々備わっている快か不快かを識別する原始感覚なのです。
この原始感覚は部位、器官を構成する細胞、あるいはもっと細かい単位にも及ぶと考えられます。

全ては不快からは遠ざかり、それぞれがそれぞれの求める快に向かうという性質があり、そのお陰で臓器という器官ももそれぞれの役割を懸命に果たそうとするし、細胞も快を共有できるから器官という一つの集団を構成できるのだと思います。
そして、それぞれ役割の違う部位、器官も快があるからお互いを尊重し合い、一つの人体を構成できているのだと思います。

快適感覚によって全体が調和に向かうということであり、その快適感覚の質によって全体のバランスは変化していく。そして、ボディの歪みや症状疾患の改善に向かうという事なのです。

Wikipediaにも書かれている「生体のフィードバック機能を洗練させることが重要であることをより強調する形になった」という事柄も、不快感覚の継続した状態から快の感覚がききわけられ、そのききわけられた快感度の質とその気持ちよさを味わう時空によって全体の調和が高まり、全体と病んだところとの相関相補の関係が密になる事でフィードバック又はより良いバランス状態への変化が起こる。

それによって、ボディの歪みや症状疾患の改善に向かうという事なので、その為にからだの要求に則した気持ちよさをききわけ、そしてその気持ちよさを十分に味わうという事が重要という事なのです。


続く




然れど肩凝り


昔から、たかが肩凝りとか、されど肩凝りとか、よく言われます。
普段やり慣れない事をしたり、堅苦しい場に居ての一時的な疲労感もあれば、頚肩腕症候群、肩関節周囲炎(四十肩、五十肩)といった関節や筋肉の疾患を伴うものや、血圧の異常をはじめとする内科的疾患、心因性を起因とするものまで様々です。施療、施術する側にも昔から「肩の悩みが解消できれば一人前」という言葉があります。

肩は構造的にみても、運動の自由度が大きく複雑な動きにも対応できます。しかし自由度が高いゆえに不安定ともなり易い。肩凝りにしても、からだ全体が不安定な状態で肩周辺の筋肉の凝りや張りだけ解消させても一時的な場合が多い。

その凝りや張りは、からだからしてみれば何らかの理由があって生じているわけであり、全体のバランスをとる為に、どうしても局所負担がそこに生じるようになってしまっている、と言える。
ですから、不安定となるバランスの崩れの根本的な原因に目を向ける必要があり、たかが肩凝りと侮ることは出来ないのです。

肩凝りの原因としては、先に挙げた関節、筋、腱の疾患、何らかの内科的疾患、精神的アンバランス、そして一番無視できない原因は日常生活動作です。
日常生活動作、これは一番重視しなければならない原因ですが、一番蔑ろにされている事柄でもあります。

誰でも、生きて生命活動を営んでいる限り、動いています。何らかの理由で寝たきりになったとしても、からだの動きというものがあります。
この、からだの動きそのものは、バランス制御に働きかけていますが、日常生活に於ける自分の動きというのは、感情や思惑の影響を受け、からだの動きを阻害してバランスを崩す方向に向いている事が多い。

大抵の人は、無意識にも有難く活動しているからだの動きというものに無頓着であり、無頓着、無関心であるが故に自分の心とからだの不調和を生じさせ、それによって不快な動きの方向にボディを歪ませ、窮屈で不安定な日常生活動作となっている場合がほとんどです。

それでも間に合っているうちはいいですが、間違いに気づかず、そのまま不快感覚が増していけば、ボディの歪みは不自然な動きの循環とともに、2次的3次的と増々波及していきます。
その過程で、不安定となり易いのが肩であり、四十肩、五十肩と呼ばれるものなどは、その典型でもあります。決して年齢的な問題だけではなく、その生命活動の中身の問題なのです。

また、これは筋、腱、関節の局所負担の現れ方によっては、肩関節周囲炎のみならず腱板炎や拘縮肩といった疾患になるという事であり、その現われの現象のみを対象とした治療で、痛みがなくなったとしても根本的な解決にはならないのです。
からだからすれば、その痛みは本人に生活動作を改めるよう促すサインでもあるのです。そのサインを受け取れなくすれば、その時は痛みから解放されても、債務は残るし利子もつくのです。

肩の不調を抱える人が、肩だけでなく首、頭、腰の痛み、精神的消耗、内科的機能の不調を抱えている、抱えてしまうのには、そういう理由があるのです。

日常生活動作を、からだの動きと調和するように改める。それが出来れば、生命活動は快適なものへと変わっていき、おのずと不快症状も治まってくるのです。
自然の真理はシンプルとよく言われますが、その通りなのです。しかし、それがなかなか受け入れられないのは、シンプルゆえに軽んじてしまうところがあるからなのです。

からだの動きと調和する、そんな事で良くなるの?そんなことだったらすぐ出来るよ、といった声が聞こえてきそうです。
しかし、シンプルゆえに奥は深いのです。局所の動きだけ見て簡単と思えても、それがどう連動して全体的に調和のとれた動きになるか、という事になると大抵の人は吊り合いのとれない局所の筋、腱、関節に負担をかける動きとなり、その負担にも気づけていない。
 その要因はどこにあるのかというと、ボディの歪みであり、日常生活動作をはじめとする生命活動の間違いによって本人の気づかぬまま生じているボディの歪みが、元々の自然環境に適応した動きを不自然な動きへと変えてしまっているのです。

ですから、まずはボディの歪みを、自然環境をはじめとした様々な環境に適応できるよう、からだにとっての快適感覚(気持ちよさ)で正しながら、からだの動きと調和していく必要があるのです。


 

健康寿命をのばす



平成30年9月15日の時点で、65歳以上の高齢者の総人口に占める割合は28.1%と過去最高を更新したという。
また、70歳以上の方の比率も初めて20%を超えて20.7%となり、総人口の5人に一人は70歳以上という割合になったとのこと。

御長寿の方が増えるのは良い事です。願わくは平均寿命が伸びるのと同じくして、健康寿命も伸びる事ですね。
健康寿命。これは介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間の事。
この健康寿命を伸ばす事が、本人にとっても家族、社会にとっても重要とされる。

そこで、よく言われるのが体力や運動能力を高めるという事。身体を鍛え、体力や運動能力を高める事で日常動作が楽に行えるようになる、という考え方。
この考え方は、一般に浸透していますが、果たしてそれで良いのでしょうか?
考え方が逆立ちしているのではないでしょうか?

みんな人それぞれ個性があります。持病を抱えているという事も、個性と捉えることもできます。
年齢が上がれば、その個性も幅広くなります。長く生きてきた、そのプロセスは人それぞれですから。
鍛えて体力や運動能力を高めようとした場合、それが出来ない人も当然います。また、からだにききわけず、いきなり鍛えようとして逆にからだを壊し、日常生活に支障をきたす人もいる。

日常生活のなかから変えていく。
例えば、下の物を拾う動作一つとっても、無理や無駄のない動作もあれば、窮屈でからだに負担を強いる動作もあるのです。
ですが、体力という面からはいってしまうと、そういう事に気付けない。今は、鍛える事が出来て体力もあり、からだに負担を強いる動作での差し障りに気づいていなくとも、そのツケは付いてまわっている。

日常動作をそつなく、つまり局所負担を減らして、からだ全体で合目的に行えるような動作に変えていく。そのように変われば、運動能力はおのずと高まるのです。
力を発揮するにしても、一局所ばかりに負担を強いる動作ではなく、合目的に全体が作動する方がより力が発揮されます。そして疲労も溜め込まなくなる。
そのように日常生活から変えていく事で、ある程度の年齢でも、自分のやっている仕事や趣味、芸事なども向上する可能性がグンと上がります。皆が皆そこに気が付けば、健康寿命も更に伸びていくと思うのです。

操体は、「症状疾患とからだの歪み」でも書いたように、症状、疾患に対して現代医学とは違う捉え方から、その根本的な原因に目を向けています。
その根本的な原因を突き詰めていけば、生活(生命活動)の間違いから生じる、生体のアンバランスがあります。
からだの使い方、動かし方にもルール(自然法則)がある。操体臨床でも、そのルールに則って施療(からだのサポート)をすることで、からだはバランス制御(自然良能作用の発揮)に向き、結果的に様々な症状、疾患からの回復、改善につながっているのです。
ですから、そのルール(自然法則)に則した動きは、からだにとって無理のないことは勿論、無駄のない高能率な動きなのです。それを生活動作に応用することで日常生活から健康維持、増進が可能となり、延いては健康寿命を伸ばす事にもつながるのです。

 


 

気持ちよさについて



「快」「快適感覚」「気持ちよさ」と「楽」は本質的に異なるものです。

来院者の方々は総じて「楽になりたい」「楽にしてくれ」といった事を仰います。不快症状が強ければ強いほど、そう考えるのは解ります。しかし、その「楽」に向いた思考が病みをつくり出している場合もあるのです。

「楽」は単独的であり、調和には向かいません。
例えば、子どもの時を思い出してみて下さい。学校で掃除をしていて、さぼった経験がある人もいると思います。さぼっている時は、自分だけ「楽」をして、何か得したような気分にもなるでしょう。
しかし、一生懸命にやっている友達に目を向けた時、後ろめたさを感じたり、悪かったと思うのではないでしょうか。「楽」というのは調和には向きません。

これを、自分と自分のからだの関係に当てはめてみて下さい。何にもしないのが「楽」でいいやと言う人もいます。それは自分の思考がつくり出しているだけなんですね。その時はそれで良いかもしれませんが、だんだん何もしないのが苦痛になってくるはずです。
からだがそれを良しとしないのですね。それでは自然環境に順応できず、恒常性も維持できなくなりますから。
心の縛りが無ければ、からだは無意識のうちに静的にも動的にも動いて、調和に向かうのですね。

その調和に向かう方向性は何で決まるかといったら「快」の感覚であり、からだに元々備わっている「快」「不快」を識別する能力である原始感覚が、そうさせるのです。
からだは70兆個の細胞から出来ていると言われますが、その一つ一つが「快」を選択し、結びつき、それぞれの器官、機関を構成し、そして調和しているのです。
今、確かに存在している、そのからだに「楽」の選択はないのです。「快」があるから新陳代謝もスムースに行われ、更新された調和の像が形成されます。「楽」にしがみついた細胞があったら、それは様々な不調和の元となってしまうでしょう。

操体の臨床も「楽」に問いかけるのではなく、「快」なのです。動かして診る診断分析法にしても、皮膚に接触する診断分析法にしても、「快」に問いかける。
動かして診る診断法にしても、自分勝手な動きでは「楽」にはつうじても、「気持ちよさ」にはつうじないのです。「楽」への問いかけでは、その時の「楽」で終わってしまい、回復や健康維持、増進には、なかなかつながらないようです。

からだの動きは、からだの使い方の自然法則に則って動かすことで、自分の普段使いの動きではなく、からだ本来の動きが導き出されます。そうすることで、「気持ちよさ」をからだにききわけるという事につながるのです。その為に操者(施術者)が必要となるのです。操者は来院者のからだ本来の動きが導き出せるよう十分にサポート致します。

治すのは、あくまでからだであり、自分自身なのです。これは、どんな治療法にも言える事だと思いますが、からだが応えてくれなければ、どうにもならないのです。
本来、自然とともにある、からだがどうしてほしいのか、その要求に対応できている時、からだは「気持ちがいい」という感覚で応えてくれます。その「気持ちのよさ」を原動力として、からだはバランス制御に向かうのです。相関相補の結びつきも強まり、弱って悲鳴をあげていた箇所も全体の調和の元に快復に向かうでしょう。

そして、単にからだが回復に向かうだけでなく、「気持ちよさ」が心の奥底にも働きかけ、何らかの縛りからの開放へと向かわせ、精神的な病みの癒しにもつながります。
本来の心とからだは、一如の生命体として「気持ちよさ」「快」の方向に向き、調和が成るよう創造られているようです。それを肯定して前向きに生きるか、一時の「楽」を求めて不調和を引きずるのか、その意思決定は本人がするしかないのです。
どうせなら、「気持ちよく」前向きに。 

 


 

症状、疾患とからだの歪み



「万病」という言葉があります。これは、あらゆる病気とか、多くの病気という意味ですが、 病気の数ってどれくらいあるのでしょうか。症状・疾患名として名前のついたものは、22000とも23000とも言われていて、現在も増え続けているようです。

腰痛と一口に言っても、疾患としてまだ育っていない軽度の愁訴的痛みから、骨の変位や変形からくる痛み、内科疾患によって引き起こされる合併症的な腰の痛み、心因性とされる腰の痛みまで様々です。
現代医学を元にした症状・疾患で捉えると、種類も多岐にわたり、治療法もその分数多く存在します。そして、その多くは症状・疾患名に対しての個別な治療法です。しかし、その症状、疾患、愁訴の元の元の根本的な原因に、目を向ける必要があるのではないでしょうか。

操体の創始者、橋本敬三医師の著書には必ず、「人間ーこの動く建物」と題した診断と治療の原理が載っています。その原理とは、症状、疾患は元々の正体が健康傾斜の歪体化のプロセスを経て、バランスを崩すうちに現れてきた現象であり、歪体を正体に戻すことにより、可逆的に元の健康体に戻せるというものです。
歪体とは、からだに系統的な歪みが生じていることです。では何故、からだに歪みが生じるのか。それは、自分が生活する上で、必要最小限、責任を持って営まなければならない「息、食、動、想」の営みが自然法則に準じていないからであり、それによって自然環境をはじめとした自分を取り巻く様々な環境に順応できていないからです。

からだが歪むと、形態学的には姿勢に現れ、局所的には変形、腫脹、硬結、萎縮等を来たし、動きも窮屈なものとなってきます。それでも、間に合っていれば良いのですが、からだ(運動系)の歪みそのものが、生体にとってのストレッサーとなってくると・・・

    ・・・からだ(運動系)の歪みから感覚的バランスを崩し
                ↓                
      第1段階   感覚異常の発生 (A)
                ↓                  
      第2段階   機能異常の発生 (A’)+ (B)
                ↓                 
      第3段階   器質異常破壊の発生 (A’’)+(B’)+(C)

    ・・・と、なってしまうのです。

感覚異常の発生とは、からだの歪みによって、 不定愁訴、微症状といわれる非特異的症候が自覚できるということです。からだが常に行っている、本来の状態に快復しようとする働きでは、間に合わなくなっており、どうにかしてほしくて不快のサインが出ているのです。これが傾斜の歪体化の第一歩となります。
そして、そのまま不快な状態が続くと機能異常の発生が起こります。歪みにより、流れの悪さから滞りが出来てくれば、当然、内部機関の働きも悪くなり、機能的バランスを崩すこととなります。ここに来て、現代医学では精密検査を必要とする段階に入り、種々の検査がなされるようになります。
そして更に不快な状態が続くと器質異常・破壊の発生つまり組織細胞の破壊、病理学的変化が起り、内臓の器質的バランスの崩れにまで至るのです。

ここまでのプロセスで注目すべきは、第1段階の感覚異常(A)だったものが、 第2段階の機能異常が発生する頃になると、強められて(A’)となり、第3段階では機能異常の強まりと共に、更に(A’’)と強まり、器質異常破壊の発生となっている点です。これはどういうことかというと、それぞれの異常は、いきなり単独で発生する訳ではなく、段階的な積み重なりがあるということです。
症状疾患現象というのは段階的なプロセスを経ており、その元々にあるのは、からだが不快な動きの方向に歪体することから始まっているのです。そして、異常感覚は警報ベルであり、速やかに正体へと快復すれば警報は止みますが、多重的に広がれば警報は強くなり、様々な異常も生じてしまうということなのです。
しかし、生じた警報を消失するよう、からだを歪体から正体へと逆転させていけば、段階的に異常も正常化してくるという事。
図に示すと・・・ 

         ・・・歪体から正体へと逆転していくと
                    ↓                    
      第1次消失として    感覚の正常化
                    ↓                   
      第2次消失として    機能の正常化
                    ↓                    
    最終的正常化として  器質異常・破壊の停止、回復(その程度による)

・・・となります。 健康傾斜の歪体化のプロセスは可逆性になっているのです。

からだは悪くもなりますが、そこから良くなるようにも出来ているのです。その鍵を握るのは、からだの歪みとそれにともなう感覚であり、そこに着目するか、しないか、なのです。
現代医学は、危機に瀕した生命を救急、救命する場面などで、数々の素晴らしい成果をあげています。これは本当に有り難いことです。
しかし、人間は元々病気しないように、間に合うように出来ているのです。危機に瀕するまで、頑張って、からだを不調のままにしておく必要はないのです。不快を感じたなら、気持ちの良い方向に調和できる様、からだの歪みを調整し、心とからだの健康バランスを回復させていけば良いのです。

病気から人を診るのではなく、人を病気にさせない診かたが、今後いっそう問われてくるのではないでしょうか。不快な動きの方向に歪体したからだを、正体に戻すことなく、症状、疾患という現象だけ、なんとかしようとしても底抜けの桶で水を汲むようなものなのです。

 


 

 

腰痛なのになんで



腰痛と一口に言っても、その種類は様々です。そして、そのほとんどは現代医学では原因が特定しきれていないとされています。

厚生労働省の「腰痛対策」という資料を見てみますと、医師の診察および画像検査(X線やMRIなど)で腰痛の原因が特定できるものを特異的腰痛、厳密な原因が特定できないものを非特異的腰痛としています。
そして、その比率は特異的腰痛15%に対して、非特異的腰痛は85%にのぼります。 通常、腰痛症と言えば非特異的腰痛の事を指すとされています。

厚生労働省の資料をもとに、特異的腰痛と非特異的腰痛について、書き出しておきます。 


(1)特異的腰痛の代表例
  原因が確定できる特異的腰痛は、医療機関を受診する腰痛患者の15%くらいの割合といわれています。その内訳は、腰痛自体よりも坐骨神経痛を代表とする脚の痛みやしびれが主症状の疾患である腰椎椎間板ヘルニアと腰部脊柱管狭窄症がそれぞれ4~5%、高齢者の骨粗鬆症の方に多い圧迫骨折が約4%、結核菌も含む細菌による背骨の感染(感染性脊椎炎)や癌の脊椎への転移など背骨の重篤な病気が約1%、尿路結石や解離性大動脈瘤など背骨以外の病気が1%未満です。

(2)非特異的腰痛
 多くは椎間板のほか椎間関節、仙腸関節といった腰椎の関節部分、そして背筋など腰部を構成する組織のどこかに痛みの原因がある可能性は高いところですが、特異的、つまり、どこが発痛源であるかを厳密に断言できる検査法がないことから痛みの起源を明確にはできません。骨のずれ(すべり)やヘルニアなどの画像上の異常所見があっても、腰痛で困っていない人はいますし、逆に、腰痛の経験があっても画像所見は正常な場合もあります。つまり、画像上の異常所見は必ずしも痛みを説明できないことが理由の一つです。
 ぎっくり腰等の非特異的急性腰痛は、初期治療を誤らなければ多くは短期間でよくなります。しかし、一度発症すると、その後長期にわたり再発と軽快をくり返しやすくなることが特徴です。
                                                                           
  引用元:腰痛対策ー厚生労働省 (PDF資料)

(2)の非特異的腰痛に関しては、思い当たるふしがある人が多いのではないでしょうか。
私ども診させていただく側からしても、(1)の特異的腰痛の中の椎間板ヘルニアや、痛みの起源が明確に出来ない非特異的腰痛で来院する方がほとんどだからです。
そして、ほとんどの人が画像上の異常所見をもとに「ここがこうなんだから」とあきらめ感を持ってしまっています。しかし、そのままでは生活していく上で不便だし、痛みからの解放も願い、何とかしたくて私どものような現代医学とは異なる診かたをするところにやってくる。

診かたの違い。現代医学と私ども操体臨床家の診かたの大きな違いは、症状疾患で診ずに、その症状疾患現象の原因となっている、からだの歪みを診るという事。
ですから、腰痛で来院したクライアントに対して、「ここが痛い痛い」と言っている腰の部分には、まったく手をかけない時もあります。その人特有の全体的なからだの歪みによって、腰にストレスが生じ、痛みにつうじている訳ですから、その痛みの原因は腰ではない場合の方が多いからです。

からだの歪みを考慮せず腰だけ何とかしようと刺激を与えても、かえって反発を受けることが多いですし、場合によっては壊してしまいます。また、からだの歪みを考慮せず、腰だけ固定安静をはかっても、他との不調和が解消されなければ自然良能作用は十分には発揮されず、時間の経過とともにかえって弱ってしまう場合もあります。

からだの要求に応える。からだには、常に全体的な調和に向けた働きがあります。そのお陰で、誰もが生きていられます。その人特有に歪んだからだにも、調和に向けた要求があるのです。痛みのサインを発している状態であれば、なおの事その状態から変化したいという要求が顕著に現れているものです。
そのからだの要求に対して、自然法則を応用して応えるのが操体臨床であり、動診にしても皮膚へのアプローチ(渦状波Ⓡ)にしても、調和に向くからだの要求に応える事を最善としています。
ですから、そのからだの要求が足から診てほしいというのだったら、痛みや不快感のある腰ではなく、足からアプローチして、からだ全体が調和を密にして自然良能作用を十分に発揮できるようにするということなのです。

 からだは全体で一つ、みんなつながって相関し、相補し、そして連動しています。
このつながりと、そのバランスという事が大切です。しかし、症状疾患別に診る事ばかりだと、つながりやバランスといったことを疎かにしがちです。

 互いに補い合い、協力し合う関係性が失われていけば、その器官、部位、部分は機能的に衰弱し、壊れていくのは明らかです。
 栄養や酸素を上手いこと受け取れない、動きに関しても拮抗して、その部位ばかりに負担を強いるようなかたちとなっていれば、その部位が弱っていくのは明らかであり、その部位が弱れば、それに連関する部位も連鎖する様に弱っていってしまうのです。

 ですから、腰痛にしても何にしても、全体のバランスを考慮し、からだの要求に応える事が大事であり、悲鳴をあげている部位に、更に痛みを与えるような事をする必要はないのです。