操体、操体法に関して

操体法は操体とリンクしているからこそ

操体、操体法とは、医師であった橋本敬三先生(1897~1993)が昭和初期の時代に、様々な民間療法を試しているうちに、高橋迪雄(みちお)氏の正體術矯正法に巡り合い、そこから医師としての立場から医学的な認識に基づいて創案されたが、次第に医学の範疇を超越した真の健康学として体系づけられてきたものであります。

橋本敬三先生が実際に日々の治療として行っていたものを「操体法」と呼びます。
そして、治療を行う上での橋本敬三先生の思想、哲学、生命観を含めたものを「操体」と呼びます。

橋本先生が、実際に治療として行っていたものは、正體術をヒントにしてはいましたが、その内容はご自身の生命観、哲学とリンクさせ、次第に独特なものへと変化していきました。

その変化の集大成ともいえる言葉が「気持ちよさをききわければいいんだ、気持ちよさで治るのだからな」でしょう。

「気持ちよさで治る」このような考え方は、現代医学をはじめとした西洋医学にも東洋医学にもなく、手技療法の世界にもないでしょう。

Wikipediaには、このように書かれています。

初期の理論(著書に詳しい)では、客観的に骨格構造を観察して、運動系の歪みを修正(治療)することを主題としているのが特徴。その後、客観的な見方を離れ、個々人の内部感覚(快・不快)にもとづいて、生体のフィードバック機能を洗練させることが重要であることをより強調する形になった。現在では、より質の高い快適感覚を「からだ」に聞き分け、味わうという感覚分析をするようになってきている。

Wikipedia より

ボディの歪みの捉え方

橋本敬三先生は医師でありましたから、解剖、生理学などをもとに、はじめは客観的見地より骨格構造を主に構造力学的に診て、その症状疾患に伴う特有な運動系(ボディ)の歪みを正せば、おのずとその症状疾患現象も治まるという観点をもっていたようです。

しかし、ボディの歪みというのは症状疾患の元にもなりますが、その症状疾患を更に悪化させない為、あるいはもっと重篤な症状疾患を引き起こさない為に、あえて歪んでいることもあるのです。

人体を機械に見立てれば、一つの原因に対する一つの結果というような単線的な因果関係で説明しやすくなります。

しかし、人体は生体であり、環境との相互関係をはじめとして、はるかに複雑な要素で成り立っています。

客観的に見て「このあたりが普通と違うから普通と同じような見栄えにしてやる」では、かえって不調に陥ってしまう場合が多々あるのです。

論理的に頭で理解できるものと、真理とは別という事なのです。

論理より真理

論理的整合性よりも真理が大切。この真理の追究こそが橋本哲学であり、操体なのです。

論理的な整合性を保とうとすれば、実際の物事よりもその論理に合った事象を優先し、その論理に合わないものは捨象する傾向があります。しかし、その捨象してしまったものの中には本当に大切なものもあるのです。

個々人の感覚(快、不快)もそうです。個々人の感覚というのは、極めて主観的であるがゆえに、メカニズム的に数値化しやすい客観的な論理からは分離され、無視される傾向にあります。

しかし、からだの異変や不調を感じるのはご自分の感覚であり主観です。
そして、気持ちの悪い状態から気もちの良い状態になっていくのを感じて、不調が回復に転じ、改善へと向かい、それに伴い元気や活力、生きる意欲、ポジティブな感情へといざなうのも、感覚があればこそなのです。

感覚を重視する

ボディの歪みを正すにしても、感覚は無視できません。
ボディというのは横紋筋系運動系を指しますが、このボディは生体であり、内臓系、循環系、運動神経はもちろん自律神経とも力学的、生化学的に関わり合っています。

よく、局所の構造力学面だけに着目し「椎骨の変位、変形が脈管系や神経系を圧迫しているから」と不調の原因が説明されます。

しかし、何故その椎骨が脈管系や神経系を圧迫する状態になってしまっているのか、といった動きも含めた(局所ではなく)全体的なボディの歪みを、順を追って説明するとなると、物や機械を扱うような客観的な論理では説明できないのです。
ボディが歪めば動きも不自然なものになるのですから。

ですので、外から見た客観的な形態よりも、主観である感覚によって動くからだの動きというのは無視できないのです。

快適感覚によってバランス制御が可能となる

ボディの歪みも、この環境に適応しようとして生きる生体の全体的バランスという観点が必要となります。

生体内部では、様々な部位、器官が相関相補し合ってバランスをとっています。ですので、その全体的なバランスを制御する羅針盤が必要です。

それが、私たちのからだに元々備わっている快か不快かを識別する原始感覚なのです。
この原始感覚は部位、器官を構成する細胞、あるいはもっと細かい単位にも及ぶと考えられます。

全ては不快からは遠ざかり、それぞれがそれぞれの求める快に向かうという性質があり、そのお陰で臓器という器官もそれぞれの役割を懸命に果たそうとするし、細胞も快を共有できるから器官という一つの集団を構成できるのだと思います。

そして、それぞれ役割の違う部位、器官も快があるからお互いを尊重し合い、一つの人体を構成できているのだと思います。

快適感覚によって全体が調和に向かうということであり、その快適感覚の質によって全体のバランスは変化していく。

そして、ボディの歪みや症状疾患の改善に向かうという事なのです。

Wikipediaにも書かれている「生体のフィードバック機能を洗練させることが重要であることをより強調する形になった」という事柄も、不快感覚の継続した状態から快の感覚がききわけられ、そのききわけられた快感度の質とその気持ちよさを味わう時空によって全体の調和が高まり、全体と病んだところとの相関相補の関係が密になる事でフィードバック又はより良いバランス状態への変化が起こる。
それによって、ボディの歪みや症状疾患の改善に向かうという事なので、その為にからだの要求に則した気持ちよさをききわけ、そしてその気持ちよさを十分に味わうという事が重要という事なのです。

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